真理

04/10/24

「では、真理さん。ニュースを」

あのつっこみのするどい真理さんではなく、

真理。国語辞典で引いてみると本当の道理、とか書いてある。僕はここでは生きる理由と訳すことにします。

 僕は、精神と肉体のバランスが悪いと調子の出ないタイプだと経験的に思います。

一方が偏ってしまい、バランスが悪くなり、またもう一方に偏ってしまうと調子を落とす。これでは効率が悪い。

僕は物質つまり勉強に集中したい。それで精神的なものを無意識的に生活に組み込めるように、マニュアル化して実行したい。 

そういう理由で今回、色々精神系、宗教系、オカルト系のウェブサイトや本を読んでみた。

当初、1、2日位でまとめる予定でしたが一週、数十時間位、費やしてしまいました。

その集中力を勉強にまわせっていう話のような気もしますが。その中で真理という言葉を思うようになり、それを調べてみました。

 

なお、今回は死後生というものを前提としています。

 

人間はある側面において、2つの種類があると思います。ひとつは生きる意味を考える人間もうひとつはそうでない人間。

まあ、中間もいるでしょうが。

 3、4年前からとき時、思い浮かぶ言葉がある。真理。何のために存在するんだ。何か理由があるのか。

なんていうかレゾンデートルっていうやつでしょうか。そういうの気になるんですよね。

思い浮かぶんで浮けど、そのうち忘れてしまう。まあ、知ることに重要性がないので

後回しにしてたんですけど。でも、今はそんなことを考える時間がある。

 

 真理。学問には内側、外側があると思います。内側が宗教、外側が科学。

真理と言う言葉にもいくつかの意味がある。科学で言う真理、宗教で言う真理。

ただし、今回調べてるのは後者の真理。

仮に宗教的にいう真理というのがあるとすれば、それを既存の学問体系で見るのは難しいと思います。

 それは釈迦やキリストがそれらしい事を聞かれた時に答えないようなスタンスであったように、それは言葉にするのも難しく、

また人間の知性では理解しがたいと私は推測します。

 当会は定義でなく、実用的かどうかが肝心ですから。

 

・死後

無になるか?私は死後も生きると思います。根拠はまあ、ありますが、証明できるものでもありませんし、必ず反論というものが

あります。それに主観的性質が強いので、あえて割愛したいと思います。

 

・物質と精神

物質的な事は、生きるため、肉体維持のために不可欠である。本能。しかし、物質に関わる事により間接的に成長することは

あっても魂の成長には直接的にはつながらないとのこと。

物質的なということは、食べる行為、寝る行為、性的行為、名誉的行為、財産的行為、またそれらを行う金を稼ぐ行為

等をいう。要するに物欲ということかな?

 精神的な事は、魂のため、死後というか実在のため事、

それは、愛、平和、許し、祈り、瞑想、利他行為等をいう。らしい・・・・・・・・・・

物質と精神。言い換えれば、エゴとエバということ。

霊は肉体に入る前はエゴがないらしい。

 

肉体はこの世で生きるための乗り物である。脳はこの世でものを考える機械らしい。

それも低性能らしい。

どの乗り物を乗るかは、それまでの歩んできた道、また目的などによって違うらしい。

だから、外見にも意味がある。・・・らしい・・・

僕がもてないのは、前世で女遊びをしたっていうこと????

よう、わからん。

僕たちの本来の姿はもっとすごいものらしい。肉体に入るとそれは一片のようなものらしい。

 

僕らは目的があって生まれてくるらしい。それは個々人によって違うけど

簡単にいうとカルマの清算、魂の成長らしい。

 

死ぬのは、悲しい事ではない。苦から開放される事だ。また、本来いる場所に帰ることだ。

生とは悪夢のようなものだ。

 

負のエネルギー

戦争、災害、貧困等。人間の集合的な負のエネルギーが作り出したものらしい。

 

あまり、関係ないですが、銀河系だけで数千億超の星があるらしい。そのひとつが地球である。

そこに住まう人間。宇宙全体でみるとちりみたいなものです。

アリストテレス(だったか、誰か)は証明できないものを議論してもしょうがない?(かなり、あいまいですが)まあ、

そんな事をいいました。これは、仮にその何1000億分も1の地球に人間が存在するが、宇宙人は証明できない。

だから、宇宙人は存在しない。でもそれってすごくおかしい話ですよね。確率的には圧倒的に存在する可能性のほう

が高いのに。まあ、何が言いたいかって言うと証明できないからってはじめから決め付けないことは大事と思います。

 

 

因果律

 原因があって結果がある。因果は寸分の狂いもないらしい。そう思えないのは、非物質的側面、時間的側面

があるかららしい。

 因果には、個人はあるが、集団にも、何らかの連帯責任があるらしい。それはいわゆるソウルメイトっていうやつなのかもし

れないし、先祖や子孫なのかもしれない。野球やサッカーみたいな事なのかもしれない。

玉田が点を入れても、南が自ゴールにスローイングしたら負けるみたいな事なのかもしれない。

 因果律の早さには個人差があるらしい

精神世界の資料を見てると、我々には1人につき1(人?)の守護霊がついてるらしい。通説っぽいです。

その守護霊でさえも因果律には介入できないらしい。

心で想う事でさえ、因果の対象となる。性的なこと、憎悪、悪い事。

「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫したのである」

想っただけで、マイナスのエネルギーを発生させるためらしい。根元から断てと言う事か。

「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」

 

因果律で必ず問題になるのが、ハンデの人、生まれながらに不遇の人などの問題。

その人は、悪い行いを行ったからそうなったのか?

しかし、自分で望むこともあるとのこと。理由は魂の成長の促進のため。

人間に自由意志がある点を考慮すれば、魂にもあるんだろう。

反対に一切、選択の余地がない事もあるんだろう。悪い因果の場合。

因果律は現世だけではなく前世も含まれる、不平等感はここから生まれる。らしい。

過去・現在・未来の「三世」に渡って作用するとしたものが、「三世応報」である。

一方で、魂が偉大であるほど、要請される仕事も大きくなることもあるらしい。イエスはそういうことなのかな。

苦があるから成長できるという側面もある。病気、死別、挫折等。

自分のしたことは、自分に帰ってくる。穏やかになればマイナスもない。

ゼロになりなされ。

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