善行とは
04/10/19
因果の法則。善い行いは良い現実を生み。悪い行いは悪い現実を生む。
人間の道徳や倫理や善悪は正しい情報とは言えない。
私は、この世界はたまねぎのようだと思います。いく層にもなるたまねぎ。
人間は高度な意思気体から見れば、人間から見た犬あるいはミジンコのようなものと思っています。
犬やミジンコの善悪が人間の善悪と違うように、人間の善悪と真理でみた善悪とはまた違うと思います。
仮に因果則があるとすれば、真の善、偽の善で大きく違うと思います。また、それは不運な感じがいたします。
せっかく良い人間であるのにそんなテクニカルなことで損してしまっては。
ということで本当の善行とは何か。エロエロ巡回してきます。
ワンネスという言葉があります。全てはひとつ。必要悪。悪も必要なもの悪があるから善が知れる。
悪もまた神が創ったもの。それゆえ悪だから正しくないというのもおかしいような気がする。
因果法則からすれば、現実の悪は、我々の行動から派生したもの、悪行の結果生まれたものである。
それゆえ宗教では世界は全て自分の想像したもの、つまり自分の周りに起こることは自分で思い描いた現実。
全ては自己の責任といわれる理由であろう。
僕は、今はそのように思っています。実際はあってるかもしれないし、全く見当はずれかもしれない。
これから先考えが変わるかもしれない。
このような考えは以前から知る機会はあった。しかし、受け入れなかった。いかにも理不尽に思ったからだ。
幼い頃から裕福で、容姿に恵まれ、能力がある人間と、そうでない人間。そんなものは自ずと幸、不幸が決まるではないか。
そう思っていた。
しかし、因果自体、何も一代の話ではなく、数代に渡るものもあり、また物質的な視点だけで物事を見ても幸、
不幸はわからない。それは私は魂の存在を信じ、そのための生と思ってるからである。それに恵まれた人間にも、
実際には葛藤、物欲、色欲、おごりなど多くを試されてるのであり、それに付随するカルマも負うのである。
そう考えたら、全ては自己責任という考えもうなずけてくる。そして、そういう考えでいたほうが甘えがなく、
真摯に生きれると思うからだ。
あるサイトでは目的が重要であると言ってます。自分のため、金のため、名誉のため、評判のため、ではだめといっております。
他人のため、世のためが重要とのこと。
でも、これは正しいのかもしれないけど、程度の問題でしょうね。実際、人の役に立ってたり、競合する場合もあるでしょうし。
布施には二つあります。お金や物のようなものと非物質のもの。
後者には、体で奉仕、笑う奉仕、共感する奉仕、心を静める奉仕などがあります。
精神系の掲示板にいくと、神に近づきたいなら、神として振舞えとあります。
つまり、自分みたいに欲深い人間が善行、善行、鈴木善・・・と唱えてもそれ自体エゴっぽいですし・・・要するに、
エゴではなく、エヴァ(っていうのかな)のために善を行うと言うことなんでしょう。
ただ、今回はテーマ選びに失敗したかもしれません。善を定義することは悪を定義することであり、
ワンネスにそぐわないものであり、調和してこそ意味があるものだからです。
そこは自分で判断しろと言うことなんでしょうか。中庸が大事と言うことでしょうか。
善に固執することこそ、執着っていうことなのか。
ただ、大まかな解釈は出来る、それは神に向かって生きる。つまり、他のために生きる
知恵の木とあるが、それは善悪をきめる知を得ると言うことでもあるらしい。
ただ、これはそれを食わせた蛇の御都合主義の善悪であって、今語っている善とはちょっと違うんだろう。うーん難しい。
隣人を愛せとイエスは言ってるわけですが、つまりは身近なものを助けろと言うことでしょうか。
まとめ
思ったことは利他に徹する。悪を定めず、つまり裁けば裁かれる。知恵の木からみても、善をあまり考えず、
湧き出る良心に従う。この良心が重要ということに、今日は非常に勉強になりました。
私は善を定義しようとしましたが、それはあまり意味がないと思いました。所詮ミジンコと言うことでしょうか。
おおいなる者にしか知りえないんでしょう。
それでは、また。
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